つい数日前、私の身内に不幸がありました。
小さい頃から可愛がってもらい、たくさんの思い出がある人です。
近しい人を亡くすことってすごく寂しいですね。。。
今日はこのことで体感したことなどをシェアしたいと思いますo(・ω・`)。
幸いなことに、大切な人が亡くなる1週間前からずっと傍にいることができました。
仕事もオーナーさんがとても理解のある方なので、
状況を説明すると休みをとることを快く承諾してくれました。
そのおかげで私は傍にいることをなんの迷いもなく選ぶことができ
最期まで一緒に過ごすことができたのですが、
これって会社勤めだったら難しいことじゃないかな・・・。
私は派遣社員として会社に勤めたことがありますが、
派遣だと休めるけど、その分給料が減りますよね・・・
こんな時にお金の話なんて!って思う人もいると思いますが、お金も大切。
そして大切な人と過ごす時間も大切。
簡単に、割り切って考えられないことってたくさんありますよね。
だからこそ、日ごろから自分の本当の望みを聞き出す訓練をしておく。
![](https://joshykawaii.com/wp-content/uploads/2018/08/pocket-watch-3156771_1280-1024x682.jpg)
亡くしてから気が付く、時間の大切さ。
私の場合はすべての式が終わってからも悲しみが癒えず、
急にしんみりとしたり、フッとした瞬間に涙が出てきます。
大切な人が亡くなったんだから当たり前ですよね!!
私は在宅ワークなので、急に涙が出てきても周りを気にする必要はありませんが、
これも会社に勤めていると人目を気にしちゃいます。
本当は悲しいんやから、しんみりしたり、泣いたり、ぼーっとしたりしながら
ゆっくり気持ちを癒したらいいのに、人がたくさんいる会社では気持ちを抑えてしまう。
ネガティブな気持ちって人前ではついつい抑えてしまいませんか??
人を亡くしたときだけではなく、失恋も同じ。
本当は悲しくて、元気が戻るまで家に閉じこもっていたいけど、
社会がそうさせてくれない。
・・
・・・
・・・・
というか、自分が自分にそうしてあげられない。
それが繰り替えされると、泣く暇もぼーっとする間もなく、
いつの間にか受け入れたれていないまま、時間だけが過ぎていく。
こういうことを繰り返してたら、自分が感じたい気持ちに蓋をしてしまう癖がつく。
今回のことで私が思ったのは、
感じたまま生きている私は
社会に適合できない人間かもしれない・・・ということ。
私にとって社会に適合することは
外側からの評価や目線を気にして行動すること。
でも今は私自身が軽やかに、感じたままに行動がとれるようにしています。
そうすると、ルールとか社会とかそういう型が合わなくなってくるので
外側を見ていたころにいた環境がいずらくなってきます。
もちろん、色んな方法もあるから私の例は極端かもしれないけど、
今、自分の望みを叶えてあげるために
「休みたい」
「勤務時間を調整してほしい」
など、常識の枠から外れて自分の気持ちを主張できたから
私は少しでも多く一緒の時間を過ごすことができました。
でもこれは自分の精神を健康に保つためにはめっちゃ大切やから
自分の心にはとっても健全!!!
![](https://joshykawaii.com/wp-content/uploads/2018/08/usagi_heart-1024x1024.png)
もしこの世の中にルールが存在していなかったとすれば
自分の心が辛いとき、どれだけの人が会社や仕事を休んで
感じたままに行動をとりたいと思うのかな??
なんか、社会に合わすことができない人が悪い!って感じやけど、
無理して型に合わせようとしているから馴染んでるだけで、
いっぱい我慢してる人もいるんじゃない??
会社勤めが悪いとかじゃなくて、
人が悲しいことに直面したときにその気持ちを正面から受け入れるのには
時間がかかるってこと。
その時間をどれだけ自分にとってあげることができるかで
物事の受け入れ方や空いた穴の癒え方は変わってくるから
社会がそんな風に変わってほしいんじゃなくて、
少しでも多くの人が自分の本当の気持ちに気が付いて、
自分のために時間をとってあげれるようになったらいいなぁ♪
今日も自分の心に正直に・・・☆。:+*
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